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更新停止中です(*- -)(*_ _)ペコリ

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251:2013/02/11(月) 19:18:27.49 ID:
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ROM専なので多分ぶつ切れになるだろうけど投下。
あと長い。フェイクあり。ウザかったらさくっとNGお願いします。

小学校に上がってすぐ、両親が離婚した。
私は四人兄妹の末っ子。
原因は父親の借金。
父親は、母方の祖父が生きている間は大人しかったが
私が幼稚園の・・・多分年中組ぐらいの時に
祖父が亡くなってから本性をあらわし始めたらしい。
ちなみに、父方の祖父は私が生まれる前になくなっており、
両親共に祖母しか居なかった。
母親は何度も無理心中を考えるぐらいに追い詰められてたそうだ。
しかし、せめて末っ子が小学校に上がって
手がかからなくなるまではと耐えていたそうだ。

そして、私が小学一年生の夏休み・・・にはいってすぐか、
少し日数が経っていたのかは覚えていない。
とにかく、夏休みになったある日、父親が遠出をした時があり
いましかないと母は取るものもとりあえず荷物をまとめて
子供たちをつれて実家に帰った。

前置きが長くなったが、
その母の実家に帰った夜が私にとっての修羅場になる。


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279:2012/11/12(月) 22:23:54.40 ID:
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数時間前に実際に自分の身に修羅場が起きたよ…。

仕事から帰ってきてマンションのエレベーターに乗り込もうとしたら、
「○○さん」と名前を呼ばれ、ふりむいたら、数年前に会社を辞めた後輩(女)がいた。
その後輩は、二日酔いで酒臭いまま仕事に来たり、
徹夜で遊んで化粧を会社で洗って落としてノーメイクで仕事したり、
会社でグーグー寝たりと、信じられない状況だったのを、
指導係だったので注意していたら、
「私にだけ厳しい」と訴えると騒いで騒いで辞めた子。
何でここに? というか、化粧濃くなってるし、
何かアバズレ化?明らかに清潔感なくなってる?
みたいな感じで、思わず言葉をなくしていたら、
後ろから明らかにヤバそうなノーメイクの怖い中年女性も出てきて、
「これが○○さん? ××(後輩)がお世話になりましたー」
とニタニタ笑いながら挨拶してきた。
私は多分「はぁ」とか「へぇ」とか言ってたんだと思う。
頭真っ白でヤバいとは思ってた。
後輩は「とりあえず家に入れてくださーい」と言い始めて、
即答で断ったけど、食い下がってくるし、
「かわいい後輩のお願いでしょ」と後輩と中年女性に腕をつかまれる。
あまりの怖さに、腕ふりほどいてダッシュで逃げて、通りはさんだ向かいの
コンビニに逃げ込んだ。「ふざけんなよ!」「逃がさないからね!」とか叫ばれた。

あまりの怖さに、同僚呼んで迎えに来てもらって、会社に近いホテル入って、今。
スーツはふりほどいた時だと思うけど、肩がやぶれてるのにも気づいてなかった。
後輩は、会社辞めた後、どうしたのか知らないけど、
私、家にあげたら何されてたんだろう。
同僚と一緒に上司に連絡したら、会社で借りあげしてもらってる部屋だから、
すぐに他の部屋を用意してくれると言ってもらえた。
でも住所割れてるなんていうのもおかしいよね、書いてて思った。本気で怖い。
まさか自分が修羅場スレの住人になるなんて思いもしなかった。
明日の分の仕事しておこうとPC開いたのに、
整理つかないからここに書き込もうと思ったけど、
書いてて打つ手が本気で震えるんだなとか思って笑ったわ。
今現在が多分一番修羅場。


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12:2012/11/21(水) 04:21:58.35 ID:
0
「ほんとにやった復習」スレとどっちに投下しようか迷ったけど、
どっちかって言うとこっちよりだと思う。
友達が友達を川に突き落とそうという現場に遭遇したのがたぶん最大の修羅場。

まず前提として
俺はAとは中学・高校が同じ。
Bとは高校が同じで中学のとき部活の練習試合で仲良くなった。
AとBは小学校・高校が同じ。


AとBが小学校が同じだったということを知ったのは高校に入学してから。
それと同時にBは小学生のときAを虐めていたことも知った。
その内容は俺がAB両方から聞いた限りだと
・休み時間中にAの席に用事なく近づいてグーで頭を数回殴る
・ドッジボールのとき、首から上はセーフのルールを悪用して
   (Aの背が当時低めだったので)他の人の胸を狙ったと言い訳して何度もAの顔面を狙う。
・Bが他の人と話したり遊んだりしているときにAが教室に入ったり、
   近くに来ると思いっきり舌打ちしていやそうな顔をする
   (Bの友達もそのうちAを嫌うようになる)
なんて事をしていたらしい。たぶん他にもあるんじゃないかと思う。

俺としてはとてもいい奴だと思っていたBが
人にそういったことをしていたということに驚いていたし、
AがBと長年付き合いのある親友としか思えないぐらい仲が良い事にも驚いた。
俺がAの立場だったらBとは一生仲良くできないと思うのに。
で、ABに聞いてみると。
A曰く「小学校卒業前にBが誠心誠意謝ってくれたからもう恨んでいない。
中学は違ったけどたまにあって遊んでた。今では友達になっている」
B曰く「あの時は確かに僕が馬鹿だった。だから許してもらえないとは思ったけど、
謝ったら許してくれた。中学は違ったけど連絡も取り合ったし、今では友達」


俺はBとはもともと仲がよかったし、自分を虐めた奴を許せるAの事も、
好きになって、高校では3人で過ごすようになっていった。

高校のときはAの身長が急に伸びてAが三人の中で一番背が高くなっていた。


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727:2012/11/28(水) 18:42:57.23 ID:
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先日アルバムを整理していて当時の写真が出てきたので思い出した。
母が再婚したときの話。

相手にも子供がいたので、当時小学1年だった私に姉(以下A子)ができた。
学年こそ1つ上なものの、
数ヶ月しか歳は離れておらず、姉というより友達感覚ですぐ仲良しに。
新しい生活にも慣れたころ、
母の再婚相手(A子父)は海外へ単身赴任となった。

そんな頃、学校で校長室に突然呼び出された。
校長先生とA子担任がいて、A子は泣きじゃくっており
先生から「A子は家でつらい思いをしている。家での様子を教えてほしい」と。
母の態度が実子である私とA子で不公平。
A子は継子いじめをされていると訴えたらしい。
いつも一緒に遊んでいたし、身に覚えのないことなのでポカーンだった私。
A子の普段の態度と先生へ訴える姿があまりにも違い、
仲良しと思ってただけにショックだった。
緊急家庭訪問となったが、結局のところ父親不在のA子かわいそう、
継母である母ひどいとされた。

A子が不公平と訴えたのは持ち物や習い事に関してのこと。
いじめと言ったのは母に怒られたことだった。
母はA子へ「歯磨きしたの」「早く寝なさいよ」
「お箸の持ち方は・・・」とか注意くらいで
怒鳴ったり叩いたりはしないし、やさしく言い含める感じだった。


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184:2013/04/12(金) 00:07:08.92 ID:
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何だか修羅場どころか、和み始めたのでちょいと投下。

旦那の叔父が亡くなり(亡くなるまでも大変だったが)
通夜も葬式も終わり、皆で火葬場へ。
火葬までに時間があるというので、待合室で軽い軽食を食べながら、
参列者がまったりし始めた。
私は当時生後六ヶ月の娘がおり、
ベビーカーで大人しく寝ているのを起こさぬようにと、ちょっと騒がしい
ぷち宴会から遠ざかっていた。
すると義母が大きな紙袋を持って来た。
「あ、私子ちゃん。参列者の皆さんに家族で挨拶しにいくけど、
 私娘ちゃん寝てるでしょ? 私子ちゃんは無理しなくても大丈夫よ。
 その代わり、これを持ってて?」
ふと中身を見ると、折り詰めのお菓子の箱が数個入ってた。
お菓子かぁとか思ってたら、天然義母、起爆スイッチ入れてくれたよ。
「あ、これお菓子で隠してるけど、
一番そこに頂いたお香典が30万ほど入ってるから、気をつけてね。
こういう火葬場とかって、窃盗とか置き引きとか多いから」
「いえいえいえいえ!!ちょっ・・・・無理ですって!そんな大金!娘も居ますし、
盗られたら追いかけられませんよ!?」
慌てる私に、のほほん義母は
「大丈夫♪その為にお菓子でカモフラージュしてるんだから」
そう言って、行ってしまわれた・・・・・。
仕方なく、私はベビーカーの下のかごに押し込み、
番犬よろしく辺りを見回していた。


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286:2012/12/29(土) 12:34:54.04 ID:
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ここ最近で開いた記憶の扉の話
子供のころ、近所にガチの痴女ってヤツがいた。

見た目普通の大人しそうなお姉さんなんだけど、俺はそいつに何度も襲われた。
こいつのやり方がまた巧妙で、親や周辺から入り込んで、親しくなって、
子守や家の留守を任されるまでになってから、仕掛けて来るんだ。
それなんてエロゲと言われるのは分かってるけど、当時の俺からすれば、
痴女からされることは全て恐怖でしかなかった。
されたことは、本番無しの口とか手でとかされたり、させられたり。

「こんなことお父さんお母さんにばれたら「汚い!」って家から追い出されるかもね」

とか言われて、行為自体の持つ意味は分かってなくても
排泄する場所をどうこうしてるわけだから、
おかしい、変だとは思ってたし、誰にも言えなかった。
上記のことは幼稚園~小学4年くらいまで行われてた。

で、4年になった頃俺に飽きたのか、
痴女は近所の他の幼稚園児の居る家への入り込みを始めた。
俺はこれで変なことされなくて済むって悟って、ひたすら安心した。
新しいターゲットの家のこととか、
幼稚園児のことを心配することすら思い浮かばない位安心しきってた。
しかし、まさかの事態が起きる。分ける。


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10:2012/11/29(木) 17:46:18.85 ID:
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思い出せる限りで一番古い記憶は爺さんの葬式だった。

当時、私は両親と姉の四人で暮らしていて
列車で30分位離れた所に母方の祖母が住んでいた。

祖母の家には祖母の他に半分寝たきりみたいな婆さんが住んでいて
祖母をこき使っていたが
祖母は誰にも愚痴一つこぼさずにその婆さんの言うことを聞いていた。

その婆さんは、祖母の所を訪れた私や姉に
ことあるごとに『あんたらの婆さんは、爺さんを私から盗った』と話した。
そんなことを言われても子供に理解できるような話ではないし
子供の感覚ではそもそも知ったことではないので
その婆さんは私たち子供にとっても母にとってもうっとうしい存在だった。


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864:2013/01/04(金) 23:40:48.24 ID:
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ずっと心に溜まっていることを吐き出したい

エネスレを読んでて思い出したけど、
以前完全に洗脳されてて半監禁状態に陥ったことがある
北九州とか尼崎ほどではないとはいえ、
助けてくれる人がいなかったら私も危なかったかも知れないと今でも思う
 

 

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103:2013/01/20(日) 07:56:34.72 ID:
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面白いスレあるね。
休みに早く目が覚めてしまったので自分の事を投稿してみる。
自分は高学歴で有名企業の共働き夫婦の間の一人っ子だ。
母親もエリートコースで自分は生後半年から保育園育ち。お迎えはいつもシッター。
両親ともに毎晩夜中。自分の食事は家政婦。両親の顔をめったに見ない生活。
両親もともに会って無かったみたいだ。
そんな夫婦はうまくいくはずもないが
対外的な対面のために婚姻関係を続けていたみたいだ。
それでもとうとう自分が中学受験に合格した後離婚の話が出た。
お互い足でまといな自分はいらないことは一致していて
親権を押し付け合う罵倒を夜中に繰り広げていた。
醒めていた自分は夜中に話を盗み聞きして二人の元に行き
「一人暮らしをするから自分の口座に金を入れろ。
親権はどっちでも構わないが
自分が一人暮らしをしていても世間におかしく思われないように
どちらかの親と一緒に暮らしていることにしてくれ。
学校の面談とかどうしても保護者が必要なときだけ
連絡するから後は一切会わなくてもいい。
これを拒否するならおまえらの会社に行って子供を捨てたと言いふらしに行く。
テレビや新聞にも言いに行く。」
ともっと幼い言い方だったかもしれないがこんなことで脅迫してやった。


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102:2013/01/19(土) 19:38:28.87 ID:
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読みにくいと思うけど吐き出させて下さい。

就職難だった当時、どうにか入れた会社での一年目。
小さくも手堅い会社なので喜んでいたある日、
父が嬉しそうに「お前の名前で出願している特許が通りそう」と言い出した。
父は発明オタクで、自分で特許だの実用新案だのを出願していたが、
私が就活中に説明会でもらったパンフレットから
何か思いついていたというのは知らなかった。