689:2013/06/09(日) 03:33:11.52 ID:
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深夜で誰もいないようですし
誰かの投稿途中というわけでもなさそうなので、書き込ませていただきます。
長い上にスレ違いだったらすみません。
言い訳にしかならないでしょうが、2ちゃんには初書き込みです。

私の中ではいまだに続く修羅場。
身バレ覚悟です。
といっても、両親か事情すべて話した元彼
あとは全ては知らないけど多少は知ってる友人数名くらいしかわからないでしょうし
彼らにバレてもかまわないって気持ちです。

明日にでも暇な人が読んでくれたらいいんじゃないかと思います


690:2013/06/09(日) 03:42:04.72 ID:
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私が高校二年生のとき、父親が出て行った。
といっても、二日くらいしたら帰ってきたけどw
その時文化祭の準備が忙しく、帰って夕飯の席に着いた時には、
やばい雰囲気だったので発端や過程はわからない。
でもなんか夕飯のハンバーグの付け合せが煮えてるだの煮えてないだの、
(今からすれば)すっごくくだらないことっぽいことだとは会話の端々からわかった。
散々なんか言い合って「だったら残せばいいじゃない」と母が言ったとき、
父はビールの缶を握りしめてシンクに歩み寄ったかと思ったら
いきなり思い切りたたきつけた。

カーン!ともバーン!とも言い難い大きな金属音。
固まる私。
そこか始まる父の罵倒。
「大体お前はいつも家が暗いだのなんだの~」
(詳細は忘れた。どのくらいの時間怒鳴ってたかさえ曖昧
家が暗い云々は、家の立地のこと。
実家は両隣に別の家が建ってて、日当たりがすごく悪い。
特に一階は昼間でも電気つけるときあるくらい。
長時間家にいるのは自分なのに、
父親が母親の意見聞かずに土地やら家やらしてしまい
それに母は今でも不満)
耐えきれなくなって、「ごめんなさい、ごめんなさい!」って泣き出す私。
(どうして無関係っぽい、もう高校生にもなる私が謝って泣き出したかは後述します)。
パニックになりながらも、泣いている自分を背後から
「これでやめてくれないかなあ」って思って眺める自分がいた。
計算してやってるんじゃなくて、感情が昂って、泣き出して、
泣いている自分の背中から別の自分が浮き上がってる感じ。
でもそんな自分を放置して罵倒し続ける父親。
「金は一銭も出さんからな!」って捨て台詞はいて出て行った。
泣いてる自分とは別の自分は
「ああ、この人、泣いてる娘よりお金の方が気になったんだ」
ってすごく冷静になってた。
そして、目の前にある食べかけの夕食を見て、
自分はどんな状況でもこれを残しちゃいかんな、って思ってた。
食欲なんかあるわけなかったけど、無理やり突っ込んで完食。
どうにかごちそう様して部屋に引きこもるまでが第一の修羅場。


693:2013/06/09(日) 03:45:56.51 ID:
0
第二の修羅場は父親が帰ってくるまで、ひたすら母の愚痴を聞き続けたこと。
そのくらい聞いてやれよって感じかもしれないけど、
自分の母親がDV相談に電話をかけてるのをすぐそばで見てるってのも
なかなか精神にくるものがある。

ここで父がバツイチだったことを母から聞いて知った。
動揺しつつも、まあああいう父親だしなあ、って気持ちで納得はした。

ああいうっていうのは、父親が夕飯の件でいきなりキレだしたみたいに、
感情で怒りだして怒鳴ると歯止めがきかなくなるところとか(母談だけれど)。
私が中学二年生のとき、合唱コンクールでピアノになったものの、
最初は二曲別々のピアノ演奏者だったのが、
片方の曲の子が土壇場で「やっぱ無理!」とか言い出したせいで、
発表の約二週間位前にほとんど練習していない曲と
自分の担当していた曲両方私が弾かなければならなくなったことがある。
近づく発表日。何度もおんなじところで躓いてしまう。少し前からやり直し。
もともと追いつめられるとパニックに陥りがちなところもあって、
半ば泣きながら練習してた。
そしたらなぜか同じ部屋にいた父親から怒鳴られる。
何故か小学六年生のとき友人が居なかったこと
(この時クラスではいじめがあって、
関わりたくないのと読書好きで一人でも苦にならないことから一人を選んでた)
も半ば人格批判の如くののしられる。
「だからお前はあの時友達がいなかったんだ!」って。
(だから、って何さと今なら言い返せるけど、
その時はピアノのこともあって冷静じゃなかったのもあって無理だった)。
あんまり追いつめられたのか、怒鳴られてる途中で過呼吸を起こしてしまった位。
それでも過呼吸起こしてるの気づかなかったのか、しばらく怒鳴られてた。
過呼吸起こす前まではひたすらわけもわからず、
ごめんなさい、ごめんなさい、って泣きながら言い続けてた。
夕飯事件でわけもわからず泣いて謝ったのは、そのこともあったんだと思う。

他にもいろいろあって、だから私はいつもどっちかっていうと母の味方だった。


702:2013/06/09(日) 04:14:54.12 ID:
0
それ以上に辛かったのは、それに続いて母から昔の恋愛の話なんかを聞いたこと。
昔付き合ってたあの人はあんな人で、
あの人はあんな人で、もしあの人と結婚してたら…。
元々自分の母親(私の母方の祖母)と母がうまくいっておらず、
さらに派遣の仕事もきつかったため、結婚を選んだこと。
書は人となりを表す?だったかの言葉を信じてたけど、いくらでも偽れるものだ云々。
さらには父親が育児に参加してくれず、私をネグレクトしかかったし、
それっぽいことも多少あった、
というような話も聞いた。

父の姉(私の父方の伯母)に相談しても、お小遣いが少ないんじゃ、とか
昔はもっとおしゃれで、とかしか言われなかった。
親戚といってもどうせ血が繋がってる方の味方をする。
でも自分の血縁は、誰も味方になってくれる人がいない。
という風に母が言うものだから、

そうか、この人にとってこの結婚は失敗だったんだ。
だったら結果生まれた私も余計なものなんだ。
もし私が生まれてなかったら、母は人生をやり直せたのかな。
(父の元妻は、父より高学歴、高収入、高身長で、父はいつも劣等感を感じていた。
だから自分より劣る自分を次の配偶者に選んだ。
元妻はそういうスペックだったから、すぐに離婚できた。
自分は専業主婦で収入がないから離婚できない、と母が言ったのもあって、
離婚した方がいいんだろうけど、ついていきたいけど、
私は母の人生には邪魔なんだろうって感じた。)

私は母の人生を駄目にしたのもあるんだから、
せめてこの人の味方をしなくちゃいけないんだ。
そのために生まれてきたんだ。
って思考回路に落ち込んで、
その通りの行動を自分に義務付けていたのが最大の修羅場だった。


703:2013/06/09(日) 04:16:51.92 ID:
0
自分自身父の変貌(としか言いようがない、理由に合わないほどの怒り様)
にショックを受けていて
更に知らなかった父の経歴を聞かされ
(バツイチの上に娘がいたことも聞かされ、
父は私じゃない娘のことを未だに気にしていて、
ひょっとしたら私より好きなんじゃないかとまで思ってしまった)
そういう状態だったから考えこみすぎたんだと思う。
でも未だにその思考回路はゆがんだ形で残っていて、弊害も未だに起きている。
だからこれからも私にとっては続いていくんだろうなあ、と


706:2013/06/09(日) 04:33:11.97 ID:
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当時は、父親に◯されるかもしれないとか母が言うものだから、私も過敏になってました。
例えば文化祭関係の部活の食事に行かなかったり、
楽しみにしていた中学の親友たちとの夏祭りをドタキャンしたり、
できるだけ父と母を二人にさせないようにしてました。
私が母を守らなくちゃいけないんだって。

その一年後くらいに、大学受験を機に
本当にこのままでいいのか
実家に縛られたまま、自分の人生を知らずに生きるんじゃないか
私は何を楽しみに生きるんだろう、と考えだして
正直疲れていたのもあって
もう私は知らんと放り投げてしまったので
母のため、などという思考は消えています。
だから当時よりはましになったんじゃないかと。

ただ、自分は要らないものなんだ、という思いだけが消えなくて
それで苦労することはままありますね。
それが残った弊害です。
あと、家族を心からは好きにはなれないな、という面でも時々葛藤しています。
恋愛観とか、人生観とかについての、周りとの不一致ですね。
母からも「あんたは家族大事じゃないよね」という旨のことを言われました。


707:2013/06/09(日) 04:41:36.71 ID:
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自分語りしたけりゃチラ裏行け


709:2013/06/09(日) 05:04:40.59 ID:
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続きを、という声もあったので書き込んでみましたが
お目汚し失礼しました。
それでは消えます


712:2013/06/09(日) 05:13:52.95 ID:
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母親こそが娘を大切にしてないのに、よくもまあ「家族大切にしてない」とか言えるよな
こういう親に、あのときああ言った、こう言ったって後で恨み言いっても、
「覚えてない!そんなこと言ってない」って決まって言うから腹立つw




引用元:https://awabi.2ch.net/test/read.cgi/live/1370262054/