おかしな人々

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更新停止中です(*- -)(*_ _)ペコリ

人生

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557:2008/08/30(土) 00:41:48 ID:
子供に万引きをさせる親の話、たくさん出てるから
子供のときに親の指示でやっていた体験談書きたくなった。
叩かれるの覚悟です。

7歳以前のことはあんまり覚えてないが、
スーパーやコンビニの廃棄があんまり厳しくなかったころで、
廃棄もの取って食べてた。

私が7歳のときに妹が誕生、生後半年くらいで保育園に預け、
以降の世話は私の仕事になった。スーパーのトイレに入ったら
個室の外にベビーカーが置いてあって、親と子供はトイレの中だった。
盗み出して、家に持って帰って使った。母、ノーコメント。

翌日スーパーで買いだしの手伝いをする前に、「下のカゴに入れて
レジ通るの。下のカゴ見るな。そのまま外に出ればいい」とかその他色々指南されて、
粉ミルクやベビーフード、おむつ等なんでも盗んだ。
赤ん坊かついだ小学生だったからか、呼び止められたら
「忘れてましたすいません」で通った。
まだ廃棄もののボックスにカギかけたりとかしてない
コンビニやドーナツ屋があったんで、そういうのも取って食べてた。

捕まりかけて母がキレまくって逃げたことはあったが、警察につかまる
ことはなかった。中三になった年に母が事故って入院したんで
病院に行き、母のカバンを預かってのでトイレであさったら大金が入ってた。
こりゃ逃げろって意味だなと思い、家に帰って荷物まとめて、妹連れて家出した。
お金がなくなる前にと思って車上荒らしやって捕まった。
施設に入って人の道を教えられ、前よりマトモになった。


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183:2013/02/11(月) 03:05:56.26 ID:
0
ちょっと記憶が飛んでいる部分もあるとは思うけれど、投下。

私の両親はとても仲が良く、どちらもどちらにべた惚れ状態。
両親は自営業をしていて、職場が車で1時間程度。
いつも母親が早くに帰ってきていた。
母が早くに帰ってくると言っても、仕事に切りがついてから。
そのため、夕食が出来上がる時間までは習い事に行き
安全な時間を確保させてもらっていた。
毎日、色々と習い事をさせてもらえていたことは環境のせいとは言え、
とても感謝している。
私は兄と一緒に習い事に通っては、
覚えの悪い私を兄は「おまえのペースも大切だ」と言っていた。

私の休日(土日)になると、私は自営業先に両親と一緒に行き
両親と一緒に夜に自宅に帰ってきていた。
夏休み、冬休みなど長期休暇はあってないようなもので、
一緒に旅行に行ったのは今でも鮮烈に覚えている2カ所だけ。

自宅は私家族+母方祖母の5人暮らし。
祖母はとても良いまじめな人なのだけれど、当時の私には辛かった。
やはり、親を見ると嬉しく思う年頃だったので
「私の前では違う態度、この子は二重人格!!」といつも言われていた。
みんながやっていたように、家事の手伝いをしてみたいと思い、申し出ると
「私のやり方が気に入らないの!誰に言われたの!!」と、やらせてくれない。
それでも、かって出てみると「ジト目」で見てくる。
家の手伝いは、やってはいけないことだと思った。
「みんなが夕飯のサラダを作った、とかシチュー作ったっていうの、
私もそうやってお手伝いしたみたい」
と兄に言うと「おばあちゃんは大切にしなきゃいけない、
嫌でもおばあちゃんの料理が食べられない時がくる
 それまでは、甘えさせてもらおうよ。
だから、その後は○○(私の名前)の味しか食べれないんだなー」
と言うので、祖母の料理をいただけたり、
家事を目の当たりに出来る風景が、とても誇らしく思った。


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938:2013/06/10(月) 19:12:31.12 ID:
0
両親が事故で亡くなったこと。
もう9歳だったのに、ぼんやりとしか覚えていません。
泣いていた記憶はあります。

あずけられた先で黙殺されたこと。
話しかけてもらえない。笑ってももらえませんでした。
優しく構ってもらえるのが普通だと思っていたので、
どうしたらいいか分かりませんでした。
こっちはよく覚えています。

これがわたしの最大の修羅場です。
次は同時に周囲でおこった修羅場?です。

親戚「私子どうする」「イラネ」「困る」「迷惑」「なら叔父にまかせたら?」
叔父は実父の弟で、当時24歳会社員独身。
家によくやって来ては私子とも遊んでくれていました。
「無理に決まってます」と様子見に来た叔父に
「おにーちゃん(そう呼んでた)」と私子がすがりつき
叔父「わたしが育てます」

親戚「若過ぎね?」「男手だけでは」「いやらしいよね」「無理かも」
叔父「おまえら人に押し付けて梯子外すのはやめろ」
親戚「なら任すか」「でも男手だけじゃ」(無限ループで揉める)

叔父彼女は当時21歳。他県の大学で4年生でした。
彼女「事情は聞かせてもらった。
内定蹴ってそっち行って結婚するわ。これで解決でしょ」
叔父「それは無謀で短慮だ。22歳でいきなり10歳の子持ちとか正気じゃない。
絶対だめ、無理。むしろ別れてくれ」
彼女「25歳で10歳の子持ちもないわよ。
   まず私子ちゃんが大事でしょ。誰かがやらなきゃ」
彼女両親「絶対に許しません。将来を捨てるんじゃない。叔父くんと別れなさい」
親戚「これはいい人身御供」「とおといぎせいはわすれない(棒)」
  「応援します(他人事)」


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10:2012/11/29(木) 17:46:18.85 ID:
0
思い出せる限りで一番古い記憶は爺さんの葬式だった。

当時、私は両親と姉の四人で暮らしていて
列車で30分位離れた所に母方の祖母が住んでいた。

祖母の家には祖母の他に半分寝たきりみたいな婆さんが住んでいて
祖母をこき使っていたが
祖母は誰にも愚痴一つこぼさずにその婆さんの言うことを聞いていた。

その婆さんは、祖母の所を訪れた私や姉に
ことあるごとに『あんたらの婆さんは、爺さんを私から盗った』と話した。
そんなことを言われても子供に理解できるような話ではないし
子供の感覚ではそもそも知ったことではないので
その婆さんは私たち子供にとっても母にとってもうっとうしい存在だった。


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864:2013/01/04(金) 23:40:48.24 ID:
0
ずっと心に溜まっていることを吐き出したい

エネスレを読んでて思い出したけど、
以前完全に洗脳されてて半監禁状態に陥ったことがある
北九州とか尼崎ほどではないとはいえ、
助けてくれる人がいなかったら私も危なかったかも知れないと今でも思う
 

 

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937:2016/05/13(金) 12:47:52.61 ID:
0.net
コテトリつけてみたよ。
今から7年前の話だけど当時私は29で旦那が経営してる会社の役員してた。
スーツ来て営業部門の責任者だった。
子供も1人いて仕事と家庭両立して今思えば幸せの頂にいた。
そんな時に私の所から製品を発注してる担当者から
「部署が代わり担当も変更になるので席を用意しましたんでどうですか?」
と連絡が来た。
普通なら旦那が行くのだけれど
そんな席に出た事がないのでお願いして私が行く事にした。
それが間違いの始まりだった。



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403:2007/08/29(水) 18:29:15 ID:
去年、ヘルスにいきました。

何の気なしにフラっと行ってしまったんですが、そこでたまたま付いた子に
メアドおしえてもらいました。どうせ営業の一貫だろうと思いメールする気は
なかったんですが、なんなくメールしてみました。
お決まりの「うれしい」みたいな返事がありました。
なんどかメールをやりとりするうちに今度ご飯にでも行こうという話になりました。
その週末の夕方、彼女の仕事が終わってから一緒に食事にいきました。
「今度いつ店にきてくれる?」とか「指名とれなくて店長に怒られてる」とか
いつ切り出してくるかなと思ってましたが、一向にその手の話は出ませんでした。






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154:2015/03/17(火) 23:59:56.53 ID:
横から失礼
携帯からなので鈍レス
スレチイタチだったら誘導してくれ

俺28
嫁25
子蟻
結婚2年目
付き合って9年

ちょくちょくフェイク入れるので、辻褄合わなかってもスルーで
結婚して2年ほど経つが、大学のときのことをいまだにぐちぐち言われてつらい
付き合った理由が訳ありでそのときのことをいつも責められる
女絡みのことなんだが、なんでもかんでもそのことに絡めていろいろ言われる
聞いてくれるやつがいたら書き溜めて投下する




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104:2014/09/28(日) 18:02:42.06 ID:
既男だが、ガキから独身時代までの修羅場を書いても良いかな。
このスレは今、平穏でネタ少なそうだから、少しずつ投下していくが、
色々ありすぎた人生で、長文になるかも。
現在は40代後半、既婚小梨だ。

俺は子供時代、母親に虐待やネグレクトされていた。
母親は、言う事を聞かないと暴力はもちろん、
子供の大切な物を目の前で破壊し、その恐怖を子供の心に植え付けて、
精神を支配するクズだった。

おかげで、子供時代の玩具はもちろん、子供の頃の思い出の品物は一切無い。
書籍も含めて、全部壊されて捨てられている。
退職した先生からもらったシャーペンを目の前で壊された時は、
心の方が壊れるかと思ったくらい。
ノートや教科書もビリビリに破かれた事もある。

自分が小学5年の秋になると、父が夜勤の夜に母親が出かける事が多くなり、
夕食を作ってくれなくなった。
「自分でご飯を炊け。500円札を置いておくから、とんかつでも買って食え」
という事が多くなった。
逆らえず、渋々従っていたが、いつしか朝食も作ってくれなくなった。

夜遊びの酒が残って、朝、なかなか起きてくれない。
精神的に支配されていた自分は、母親の了解無しに勝手に朝ご飯を食べると、
母親から制裁されると思っているから、どうにか母親に起きて貰おうと頑張ったが、
「うるさい!」と言って大型の目覚ましで殴られた。
目から火花が出た。
だらーって額から血が流れてきて、ショックで泣きながら学校へ登校した。


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1:2015/12/19(土) 15:58:50.65 ID:
きっと一方的に離婚話をされるんだ
落ち着かない
別れたくない
娘と会えなくなるのだけは嫌だ

5:2015/12/20(日) 01:31:15.69 ID:
先ほど、泣きながら離婚届に判を押しました。


ずいぶん時間が立ったけど、ひとしきり泣いて落ち着いたので経緯を書いていきたいと思います。


妻を非難するつもりもない。
自分が悪いことは理解ってるから。
誰になんと非難されても仕方ないと思ってる。

でも妻の行動は普通なのか、突然の離婚話でその日に判をしてしまったことは間違ってなかったのか、
みなさんの意見を聞きたいです。
きっと一方的に離婚話をされるんだ
落ち着かない
別れたくない
娘と会えなくなるのだけは嫌だ