【彼女との話】「早く結婚してくれ」 従姉に恋をした。信じられないほど心が痛い。彼女に会ってから今日まで、一年一年、一日一日、その痛みは蓄積されていき、今は極限だと思う

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:2006/04/29(土) 16:00:07 ID:
明くる朝、帰りの身支度を整え居間に下りると、母はすでに仕事に出た後だった。

結局、母はあれ以上なにも言わなかった。

(なんか…言ってほしかったな)

賛成にせよ反対にせよ、何かしら母の言葉が欲しかった。

賛成ならば感謝した。
反対ならば説得した。

昨日、絶好のタイミングを逃してしまった俺は、
情けないが俺を後押しする何かを求めていた。

駅まで俺を送るために、お父さんが起きてきた。
玄関へ行き、靴を履く。
と、靴の中に何かが入っていた。

『健吾様』と書かれた小さな封筒だった。

お父さんに見つからないよう、あわててポケットに閉まった。

駅に着くと新幹線の時間にはまだ間があった。
お父さんは発車時間まで付き合うと言ってくれたが、
二日酔いで辛そうだったのですぐに帰ってもらった。
なにより、封筒を早く開けたくて仕方ない気持ちもあった。

手近な喫茶店に入り、荒々しく封筒を破った。
中には母からの手紙が入っていた。


    694:2006/04/29(土) 16:01:59 ID:
    『健吾様
     あなたの気持ちを聞き、とても悲しく思いました。
     それはあなたが恵子ちゃんを好きだということにではありません。
     あなたが私やお父さんのことを考え、
     恵子ちゃんへの気持ちを我慢していたことにです。

     あなたには子供の頃から負担ばかりかけてしまいました。
     経済的にも、精神的にも。
     あなたは私たちの前では決して顔にも態度にも出さなかったけれど、
     心の中ではとても辛い思いをしてきたのだと思います。
     欲しいものも買わず、友達との付き合いも控え、
     あなたはいつも笑顔でいてくれました。
     ごめんなさい。甘えてしまってごめんなさい。

     でもその上、恵子ちゃんへの気持ちまで押し殺してきたなんて。
     私は自分が情けなくて仕方ない。

     いつだったか、あなたと恵子ちゃんが結婚したら、なんて話をした時、
     あなたの態度から私は冗談だと思っていました。
     あなたの本当の気持ちに気づきませんでした。

     本当にごめんなさい。
     あなたにそんな考えを抱かせてしまって。

     でもね。
     親というものは子供の幸せを第一に考えるものなのです。
     いつもあなたに迷惑ばかりかけてしまい、親として失格な私でも、
     いつまでもあなたの親でありたい、そう思っています。

     こんなことを言える資格はないけれど、
     あなたがうれしいと、幸せだと思える決断をしてください。
     あなたが決めたことは、きっと私にとってもうれしいことだと思っています』

    冷めた紅茶に一口も口をつけず、何度も読み返した。
    母の手書きの文字に、胸がいっぱいになった。


    695:2006/04/29(土) 16:02:41 ID:
    時間となり、新幹線に乗り込む。
    発車後、何分か経った時、恵子ちゃんの実家の近くが車窓に映った。

    (親父も…そう言ってくれるだろうか…)

    様々な感情が綯い交ぜとなっていたが、向いている方向はひとつだった。



    横浜に戻ると友枝から結婚式の招待状が届いていた。

    (順調だな)

    並び立つふたりの姿を微笑ましく思い浮かべながら、
    今夜の仕事のために身支度を整える。

    家を出、近所のポストに返信葉書を投函した。
    もちろん、“出席”にマルをして。


    696:2006/04/29(土) 16:03:28 ID:
    7月。
    結婚式に出席するため、職場に休暇申請を出した。
    式は8月に入ってすぐ。
    お盆休みを避けた日程だったため、許可はすんなり下りた。

    一週間の休み。
    目的は結婚式と…もうひとつ。

    俺は親父に電話を入れた。

    「ずいぶんとご無沙汰じゃないか、おい!この薄情者!!」

    親父の声は弾んでいた。

    「いつも電話を返さなくてごめんな」
    「ん、若いうちはそんなもんだ。気にすんな」
    「8月、帰省するよ。そん時、メシでも食わないか?」
    「おお!わかった!待ってるぞ!」

    …自分の都合だけで連絡をとったりとらなかったり。
    親父のうれしそうな声に罪悪感を覚えた。

    そして8月はすぐにやってきた。


    697:2006/04/29(土) 16:04:29 ID:
    考えてみると、俺は新幹線の中でいつも考え事をしている。
    今日のテーマは“親父への告白”。

    恵子ちゃんのことを、親父に打ち明ける。

    …でも、なんて言ったらいいんだろ。
    いや、ストレートに言えばいいじゃないか。
    ああ、こんなに悩むんなら電話で話した時に言えばよかった。
    いや、こういう大事なことは、会って、顔を合わせて言わないと。
    でも、親父の顔を見ながら言えるのか?
    そしてなんて言えばいいんだよ?

    …エンドレス。



    太田家ではお父さんと母と義妹が俺を迎えてくれた。
    いつものように和やかな宴会。
    母もいつもどおりの笑顔だった。

    お開きとなり、義妹が帰った。
    お父さんは珍しく酔い潰れてしまった。
    寝室に連れて行き、母の片付けを手伝う。

    食器を運び、台所の母にバトンタッチする。
    ふと手を休め、母の背中に言った。

    「明日、親父に会うよ」

    洗い物を続けながら、母が顔だけをこちらに向けた。

    「そう」

    笑顔だった。

    「うん」

    本当は『ありがとう』と言いたかったのだが、片付けに戻った。


    698:2006/04/29(土) 16:05:32 ID:
    翌日の夜、親父に指定されていた店へ向かった。
    そこは親父のアパートから程近くにある小料理屋。
    中年夫婦だけで切り盛りしているこじんまりとした店で、
    よく親父が晩飯に利用していた。
    俺も2~3度、一緒に来たことがある。

    (ここなら落ち着いて話ができるな)

    親父は仕事で少し遅れていた。
    カウンターで持て余していた俺に、
    顔を憶えていてくれた旦那さんがビールとつまみを出してくれた。

    今日は暑かったからビールが美味い!…はずなのだが、冷たいだけで味がしない。
    俺は緊張していた。
    この期に及んでもまだ、これからの行動に自信が持てなかった。

    ほどなく親父がやってきた。
    俺の姿を認めるや、ニコニコとした笑顔で向かってくる。
    俺は顔を背けた。

    「大将!奥、いいかい?」

    旦那さんの快諾を得、カウンターから奥の小上りへと移動した。

    「女将さん、憶えてるかな?俺の息子。今、東京で働いてるんだ」

    オーダーをとりにきた女将さんに、嬉々として、誇らしげに俺の話をする親父。

    (年とったなぁ…)

    アーノルド・シュワルツェネッガーのような筋骨隆々の体躯は今も変わらないが、
    頭髪はきれいに銀髪になっていた。
    顔に刻み込まれたシワが、笑顔と共に一層目立った。

    この笑顔が消えてしまうかもしれない話。

    俺は今からそれをする。
    くじけそうになる気持ちを、必死にささえた。


    699:2006/04/29(土) 16:06:22 ID:
    いつになく饒舌な親父と酒を酌み交わしつつ、二時間が過ぎた。
    …未だ切り出せない。

    だが突破口は他ならぬ親父が開いてくれた。

    「この間、千夏と陽子から電話がきてなぁ」

    千夏・陽子とは、亜矢(実妹)の娘たちのことだ。

    「子供の日にオモチャ送ったから、その礼の電話だったんだけど」

    親父の目尻は下がりまくっていた。

    「年に一度くらいしか会わない俺に、じいちゃん、じいちゃん、ってなぁ」
    「かわいいな」
    「ああ…かわいい。…だけど、ちょっとさみしくなってしまった」
    「なかなか会えないからか?」
    「距離の問題じゃなくてな…所詮、あの子たちは他所様の内孫だ。
     会いたくても、おいそれと頻繁に会うってわけにもいかないから、さ」
    「そんなに遠慮しなくてもいいじゃんか。親父にとっても孫なんだから」
    「そういうもんなのさ」
    「ふーん」
    「だからお前に期待してんだよ、俺は(笑)」
    「ん?」
    「いつになったら俺は内孫持てるんだ?(笑)」
    「孫って…その前に嫁さん見つけなきゃいけないだろが」
    「そうだよ、それだよ。見つけたのか?」
    「………」
    「なんだよ、浮いた話のひとつもないのか?」
    「………あるよ」
    「おお!?やっとこさ彼女できたか!!」
    「いや、彼女ってわけじゃ…。ただ…好きな人がいるんだ」

    降ってわいたキッカケに俺は飛びついた。
    思いつくまま、恵子ちゃんのことを語った。


    700:2006/04/29(土) 16:07:26 ID:
    彼女との出会い。
    彼女の人となり。
    彼女に告白されたこと。
    それを無碍にしたこと。
    そして、
    彼女が母の縁者であること。

    何もかもを素直に、ありのまま、夢中でしゃべった。

    気がつくと、親父はじっと下を見つめながら黙りこくっていた。

    (あ………)

    やはり…ダメか。

    親父の表情は見えなかったが、
    突き刺さる沈黙に俺の口も動くのをやめてしまった。

    その瞬間だった。

    どん、と俺の頭に鈍い痛みが走った。

    親父が、身を乗り出して俺の頭にゲンコツを落としていた。

    拳を引き、無言で親父が俺をにらみつけている。

    何が起こったのかはわかっていた。
    母の縁者に惚れた俺に、親父が激怒したのだ。





    …と、思っていた。

    しかし、ようやく吐き出された親父の言葉は、俺の理解したものとは違っていた。


    701:2006/04/29(土) 16:08:23 ID:
    「ばかやろが…お前はその歳になってもまだ、俺のゲンコツが欲しいのか!」
    「………」
    「お前の結婚は、お前の問題だろ?好きにすりゃいいだろうが!!」
    「………え?」
    「それを…俺と母さんのことで…そのコの気持ちまで踏みにじるなんて…!
     …お前も俺も、情けねぇ!」

    親父は怒っていた。
    けれどそれは、優しい怒りだった。

    「俺や母さんのことを心配してくれたお前の気持ちはうれしい。
     だけどな、それは親孝行じゃあ、ないぞ。
     お前は、お前のことだけを一番に考えてくれればいい。
     お前が選んだコなら心配はない。
     こう見えても俺、お前のこと信用してるんだぞ(笑)」

    鼻の奥が痛い。瞼が熱くなった。

    「健吾、しあわせになってくれ」

    とどめ。もう耐えられない。

    「泣くな馬鹿。いい歳こいて(笑)」

    小さな店でよかった。
    この顔はとてもじゃないが人前に出せない。
    がびがびになった顔を隠しながら店を出た。


    702:2006/04/29(土) 16:09:14 ID:
    親父のアパートまで数百メートル、ふたりで歩いた。
    さっきの余韻が抜け切れなくて、俺は一言もなかった。
    親父は口笛を吹いていた。

    ふいに、親父が俺の頭を撫でた。

    「な、なんだよ!?」
    「痛かったか?」
    「ん?ああ、…ああ(笑)」
    「ふふん…ばかやろ(笑)」
    「うん(笑)」


    「母さんも、賛成してくれたんだよな?」
    「うん。同じようなこと言われた」
    「そうか。…今度、彼女に会わせろよ」
    「うん、もちろん」
    「…といっても、もうお前、彼女に見限られてるかもしれんな(笑)」
    「やっ、やなこと言うなよ!」
    「ふふ。早めに会えよ」
    「うん」

    親父がまた口笛を吹き始めた。

    親父が部屋に入っていくのを見届けた後、表通りに出てタクシーを拾った。
    乗り込むや否や、どっと倦怠感が押し寄せる。
    だが心地よい気だるさだった。
    そっと、頭のてっぺんに手を当てた。

    …膨らんでる。

    恐るべし、アーノルド。
    もうすぐ還暦を迎えるというのに。

    じわじわと、小さな痛みを自覚した。
    笑いがこみ上げてくる。

    (30過ぎて…親父の鉄拳制裁を食らうとはな)

    高校の時以来のこの痛みが、大切なものに思えた。


    703:2006/04/29(土) 16:10:05 ID:
    太田家に帰ると母がまだ起きていた。
    待っていたのだと思う。

    「おかえり。…お父さん、元気だった?」
    「うん」
    「そう。…で?」
    「話したよ」
    「うんうん。それで?」
    「怒られた。んで、殴られた」
    「え!?」
    「俺のことなんて心配してんじゃねぇ、って」
    「ああ…なんだ、びっくりしたぁ。…そっか。そっかぁ!」

    緊張していた母の顔が緩んだ。

    「よかったねぇ」
    「うん…ありがとな」

    母が笑顔で頭を振った。

    出されたお茶をしみじみすすっていたら、母がいつもの軽口に戻った。

    「でもさ」
    「うん?」
    「恵子ちゃん、もう彼氏できてたりして(笑)」

    親父と同じようなことを言う。

    いや、そんなこと………あり得る、あり得るよなぁ。

    にわかに不安感が湧いてくる。
    無意識に湯呑みを握り締めていた。


    704:2006/04/29(土) 16:10:53 ID:
    翌日は昼近くに起きた。
    お父さんも母もとっくに仕事に出ていた。
    居間のテーブルの上に母のメモ書きがあった。

    『ごはんはテキトーに』

    考えてみれば今日はまだ平日。休みなのは俺だけ。
    ちょっとした解放感に、スキップしながら台所へ行った。
    冷蔵庫を漁り、朝飯にありつく。ついでに缶ビールも失敬。

    昼間のアルコールはよく効いた。
    寝転がってテレビを観ながら、贅沢な閑暇を味わった。
    ふと女性タレントに目がいった。
    以前から恵子ちゃんに似ていると思っていたタレントだった。

    親父と母の予言(?)が脳裏をよぎる。

    がばっと跳ね起き、携帯を手にとった。

    (昼休みだよな)

    1…2…3…4…。
    10コールを数えても恵子ちゃんは電話に出なかった。
    留守電に繋がる。
    けれどメッセージは吹き込まなかった。

    1時間後。
    また恵子ちゃんの携帯に電話した。

    (もしかしたら、休憩は1時からかも)

    あきらめが悪い。
    しかし結果は同じだった。

    缶ビールは5本目に入っていた。
    悲観的な考えばかりが頭に浮かぶ。
    明らかに酔いが手伝っていた。

    (夜にしよう)

    昼寝した。


    705:2006/04/29(土) 16:12:08 ID:
    気持ちの良い午後を過ごしたはずなのだが、
    仕事から帰ってきた母に起こされた時は気分がすぐれなかった。
    すぐにでも恵子ちゃんに電話したい気持ちを抑え、夕飯をとる。

    食事の最中、携帯が鳴った。
    もしやと思い、画面を見ると案の定、恵子ちゃんからだった。

    「あ、職場からだ」

    棒読み。
    今更、母に嘘をつかなくてもいいのだが、
    この時はわけのわからない恥ずかしさがあった。
    足早に2階の部屋へと移る。

    「昼間、電話くれたんだねー。ごめんね」
    「こっちこそごめん。休憩中だと思って」
    「そうだったんだけど気がつかなかった(笑)」
    「そか(笑)」
    「元気?そっちは死ぬほど暑いでしょ?」
    「実は今、一足早く帰省中なんだ。土曜日に同僚の結婚式があって」
    「そうなんだー」
    「うん。それで、日曜日までいるつもりなんだけど、
     それまでの間、よかったらメシでも一緒にどうかなって」
    「あ、なら明後日の金曜日はどう?
     土曜はウチの会社休みだから、私も気兼ねなくゆっくりできるし」
    「気兼ねなくゆっくり飲めるし、の間違いだろ(笑)」
    「そうそう…ってオイっ!(笑)私最近、お酒飲む量少なくなったんだよお」
    「年のせい?(笑)」
    「ちーがーいーまーすー(笑)耳の薬のせいだもん」
    「え?耳って…ずいぶん前に三半規管の病気になったってやつ?
     あれって治ったんじゃなかったの?」
    「ううん。今もバリバリ継続中(笑)」
    「そっか。
     以前、快方に向かってるって聞いたから、てっきり完治したのかと思ってた」
    「お医者さんには完全には治らないって言われたの。
     まあ、たまにめまいとか頭痛がする程度で、日常生活に支障はないんだけどね。
     薬を飲みつつ、一生付き合っていくって感じ」
    「その薬が酒と相性悪いの?」
    「飲んでもいいけど量は抑えなさいって言われた」
    「なるほど」
    「だから、私の目の前であんまり飲まないでね。誘惑に負けちゃうから(笑)」
    「わかった。すっごく美味しそうに飲むことにする」
    「わかってないじゃん!(笑)」

    兎にも角にも、約束をとりつけた。

    (決戦は金曜日、なんて歌があったな)

    俺の大好きな言葉“悶々”がもうすぐ消滅する。
    どちらに転ぶにせよ、だ。


    706:2006/04/29(土) 16:12:59 ID:
    インターバルのように空いた木曜日。
    あの日、俺は何をしていたのだろうか。
    最後の“悶々”を楽しんでいたのだろうか。
    思い出せない。
    だが確実に24時間は過ぎ行き、俺にとって生涯忘れえぬ金曜日が訪れた。


    707:2006/04/29(土) 16:13:44 ID:
    恵子ちゃんの仕事が終わってからということで、
    待ち合わせは夜8時に設定していた。

    家にいても余計なことを考えるばかりなので、日中から街に出た。
    しかし、何をしていればいいのか思いつかない。

    映画館に行ってみた。
    ストーリーがまったく頭に入らず、1800円をドブに捨てた。

    本屋に入った。
    知らず知らずのうちに恋愛ハウツー本を手にとっていた。
    しかもよく見ると女性向けだった。

    喫茶店で休んだ。
    ぼーっと、恵子ちゃんのことを考えた。
    …なんだよ。
    これじゃ家にいるのと同じじゃないか。


    708:2006/04/29(土) 16:14:40 ID:
    7:00PM
    散々、街を彷徨ったのに約束の時間までまだ一時間もある。

    …酒の力を借りよう。
    決戦に備えて景気づけにもなる。
    友枝とあの時行ったバーへと向かった。

    開店まもない店内には客の姿はなかった。
    いつものバーテンが「お久しぶりです」と俺を迎えた。

    「待ち合わせ前なんで、一杯だけもらえますか?」
    「はい。何になさいます?」

    しばし考える。

    思いつくのはひとつしかなかった。

    「この間いただいた“両想い”、アレ…いいですか?」

    カップルにしか出さないというカクテル。
    しかしバーテンは
    「憶えていてくださって、ありがとうございます」
    快く応じてくれた。

    淡いピンク色の水中を、ビーズのような気泡が踊っている。

    今日は自分のために飲む。
    軽く願掛けした。

    その様を、バーテンが微笑みながら見守っていた。
    なんだか気恥ずかしい。

    ちびりちびり、じっくりと時間をかけて飲み干した。

    「次回は2つ、お出ししたいです」

    店を出る時にかけてくれたバーテンの声が、とても心強かった。


    709:2006/04/29(土) 16:15:27 ID:
    8:00PM
    時間ぴったりに、恵子ちゃんは待ち合わせ場所へと現れた。

    久々に見る恵子ちゃんのスーツ姿。
    …タイトスカートって、いいなぁ。

    「行きたいお店があるの」

    恵子ちゃんの先導で向かった店は、初めてふたりで食事をしたあの店だった。
    ひとり、気分が高揚する。
    なんだか恵子ちゃんにお膳立てをしてもらっているようだ。

    その日のオススメのワインをオーダーし、乾杯した。
    俺はその杯に、またふたりでここに来れたことへの祝杯を重ねた。

    「電話ではああ言ったけど、気を遣わないで飲んでね」

    彼女の気遣いが愛おしかった。

    だが今夜は俺も酒は控えるよ。
    飲んだくれてる場合じゃないんだもん。

    今日ここで、すべてが決まる。終わる。終わらせる。

    しかしそんな意気込みも束の間、一時間も経つ頃には俺の心は苛立ち始めた。


    710:2006/04/29(土) 16:16:11 ID:
    ふたりで話しているとどうしても馬鹿話で盛り上がってしまう。
    望む方向に会話を持っていけない。
    なんとも色気のない話ばかりが続いた。
    楽しいんだけど…いや、楽しいからこそタチが悪い!

    「デザートでも頼もっか」

    彼女に品書きを渡し、無理矢理、会話を中断した。
    流れに変化をつけようと必死だった。

    “デザート作戦”は功を奏し、恵子ちゃんはデザート選びに夢中になった。
    ようやくシンキングタイムを手に入れた。

    …しかし、どうしたものか。
    切り口がわからない。
    大体、こんな公衆の面前で女性に告白したことなんて今まで一度もない。
    気の利いた言葉がひとつも浮かんでこない。

    どうしよう。
    どうしよう。

    「はい。私は決まり。健吾君はどれにする?」

    時間切れ。

    「じゃ、じゃあ、俺は~」

    “イチゴとバナナの井戸端会議”なるものを注文した。


    711:2006/04/29(土) 16:16:57 ID:
    あれほど時間の観念がなくなった日はないだろう。
    気づくと11時をまわっていた。

    「そろそろ出よっか。終電も近いし」

    おとなしく従った。

    だがあきらめたわけではない。
    駅までの道のりは徒歩10分。
    当初の予定とは大幅に異なってしまったが、この際、四の五の言ってられない。
    歩きながら、だ。

    「あのね」



    うわっ。

    …恵子ちゃんに言葉を盗られた。

    「実は、ね」

    ここまでは俺の言いたいことと一緒だった。

    「今、交際申し込まれてるの」

    噴き出した脂汗が夜風に撫でられた。
    (ああ、気持ちいいなぁ)
    などと考えていた。


    712:2006/04/29(土) 16:17:59 ID:
    「…あ、相手は?」

    現実に向き直った。

    「同い年の、会社の人。職場でよく遊びに行くメンバーのひとり」
    「じゃ、お互いによく知ってる仲なんだ…」
    「うん」
    「…恵子ちゃんは、その人のことどう思ってるの?」
    「うん…すごく、いい人。ただ…」
    「…ただ?」
    「結婚を前提にって、言われたの」

    熱帯夜、俺だけが凍りついた。
    どうにか、口だけ解凍する。

    「そ、そりゃ余程、恵子ちゃんのことが好きなんだねぇ」
    「………」
    「それで…ど、どうなの?」
    「なにが?」
    「い、いや、なにがって…悪い気はしないんでしょ?その人のこと」
    「…わかんない。
     今まで仲の良い友達だと思ってたから…そんな風に見たことなくて」
    「そうか…」
    「ねぇ、健吾君。
     男の人って、付き合う前からいきなり結婚を意識するものなの?」
    「そんなの…男も女も関係ないと思うよ。
     恵子ちゃんとその彼の間には、今まで身近に接してきた時間があったわけで、
     その中で彼が、恵子ちゃんを『この人だ!』って、感じたということでしょ?
     付き合う前の時間だけで、彼には充分だったんじゃないかな?」

    なにを真剣にアドバイスしてるんだろ、俺。

    「男女の仲になる前に…ってのは少し性急かもしれないけど、
     恵子ちゃんの良さに気づいたんだから、その彼、見る目ある人だと思うよ」
    「やだなぁ、いつもの健吾君らしくないよ(笑)オチがないじゃん(笑)」
    「いや、冗談じゃなくて(笑)」

    本心なんだ。


    713:2006/04/29(土) 16:19:00 ID:
    「ありがとね、健吾君」
    「いや…大したコト言えてないけど…」
    「ううん…そうじゃなくて。…ありがとう」



    どういう意味か聞きたかったが、すでに改札の前まで来ていた。

    「送ってくれてありがと!ここでいいよ」
    「うん…」

    最終電車が来るまでまだ5分くらいあった。

    引き止めたい。
    何か話題は………何か話題を…。

    「じゃ、健吾君。さよなら」

    俺の言葉は、待ってはもらえなかった。



    …これで終わりか?



    改札の向こう、恵子ちゃんが笑顔で手を振っている。

    ………。

    あわててSuicaを取り出し、改札に叩きつけた。


    714:2006/04/29(土) 16:19:53 ID:
    振っていた手を止め、恵子ちゃんがキョトンと俺を見ている。

    「送る。ホームまで」
    「え? いいよぉ(笑)」
    「いいから…いいから…」

    恵子ちゃんが眉をひそめて俺を見つめた。

    ホームには最終電車がもう止まっていた。
    時間調節しているようだ。

    恵子ちゃんは電車の中。
    俺は白線の上。

    「じゃあ、これでほんとにさようなら(笑)」

    さようなら、って、こんなにさみしい言葉だったんだ。

    発車のアナウンスが、俺の背中を押した。
    俺は電車に飛んだ。

    すぐにドアは閉まった。
    口をポッカリ開けて、恵子ちゃんが唖然としている。

    「乗っちゃった(笑)」
    「な、健吾君、なにしてるのぉ!?」

    恵子ちゃんの口を見た。

    「ごめん、恵子ちゃん。次の駅で、降りてくれ」

    恵子ちゃんの口が「うん」と言ってくれた気がした。


    715:2006/04/29(土) 16:20:54 ID:
    次の停車駅までのほんの数分間、恵子ちゃんは俺の顔をずっと見ていた。
    俺も恵子ちゃんを見つめ、決して負けなかった。

    扉が開き、トン、と足をホームに下ろした。
    すかさず振り返る。
    ちゃんと恵子ちゃんも後に続いていた。

    電車が出発するのを待つ。
    電車が去った。
    他の乗客がホームからいなくなるのを待つ。
    いなくなった。

    恵子ちゃんはずっと黙っていた。

    「恵子ちゃん」
    「…はい」
    「さっきの彼氏の話、断ってください!」
    「………」
    「俺、恵子ちゃんのことが、好き、です」

    恵子ちゃんが俺を見上げている、気がした。
    震える四肢。

    「もし、恵子ちゃんが俺のことを、ま、まだ、想ってくれてるなら、
     お、俺と…つきあ…てく…さい」

    最後のほうの言葉は恵子ちゃんの言葉でかき消された。

    「…自惚れてるなぁ(笑)」

    絶句。
    多分、金魚のような顔をしていたに違いない。

    うわーうわーうわー。
    やっちまった。やっちまったよ、おい。
    とんだ勘違い野郎だったんだ、オレ…。





    「でも」

    視線を泳がせていた俺の鼻に、恵子ちゃんの匂いが流れ込んできた。

    「ずっと…自惚れててください」

    恵子ちゃんが俺の腰に両腕を回していた。


    716:2006/04/29(土) 16:21:40 ID:
    サラサラとした恵子ちゃんの黒髪が、俺の右手の中にある。
    砂糖菓子のように容易く砕けそうな肩が、俺の左手の中にある。

    俺は恵子ちゃんを抱きしめていた。

    恵子ちゃんの匂いが俺をくすぐる。
    出会った時から変わらない、いつもと同じ香り。
    両腕に、もっともっと力をこめたくなる。

    「ごめんねぇ。そろそろ、ホーム閉めたいんだけど(笑)」

    ふたりとも、ビクッとなった。
    すぐそこで、駅員のおじさんが笑っていた。

    お互いにお互いの顔の赤さを認めつつ、

    「す、すみませんでした!」

    ふたりで改札まで駆けた。笑いながら。


    717:2006/04/29(土) 16:22:48 ID:
    改札を出るとすぐ、堰を切ったように俺は再び恵子ちゃんを抱き寄せた。
    今度はもっとちゃんと、もっとやさしく。

    10分。
    灯りも消えた駅の入口に、ふたり、佇んだ。

    このままいつまでも恵子ちゃんの髪を撫でていたかったが、
    思い切って、身体を離した。

    恵子ちゃんが俺を見上げた。

    たまらず、また抱き寄せてしまった。

    三度、恵子ちゃんの匂いを思いっきり吸い込んだ。
    くすくすと、恵子ちゃんが笑った。

    「すっごくクンクンしてるね(笑)」
    「うん(笑)恵子ちゃんの匂い、好きだ」

    後から聞いたのだが、アリュールという香水だそうだ。

    飽きることなどなかったが、さすがに今度はちゃんと身体を離した。
    代わりに恵子ちゃんが指を絡めてきた。

    つないだ手を子供のように振りながら、ふたり歩き始めた。

    「…ごめんな。変なところで降ろしてしまって…」

    ようやく頭が冷静に考えることを思い出した。

    「ううん…うれしかったから…いい」
    「俺もすごくうれしい」
    「…照れるね(笑)」
    「照れる(笑)」

    照れてばかりもいられない。

    「どうしよ?また街に戻ってどこかで飲む?」
    「うーん…」

    恵子ちゃんが俺の顔を覗き込んだ。

    「あのね。敏夫叔父さん(お父さん)のとこ、行きたい」

    そう言うや否やすぐに顔を伏せた恵子ちゃんの耳は、
    暗がりでもはっきりとわかるくらい、真っ赤だった。

    「…わかった。行こ!」

    すぐさまタクシーを拾った。


    718:2006/04/29(土) 16:23:47 ID:
    太田家にはまだ灯りがともっていた。
    明日はお父さんも母も休みだから夜更かししているのだろう。
    玄関の鍵は開いていた。

    「ただいま!」

    ことさら元気に扉を開けた。
    出迎えた母が俺たちふたりを見て目を丸くした。

    「ふたりで飲んでたんだ。調子にのって、終電間に合わなくしてしまって」

    とってつけた言い訳。
    だが母は気にするでもなく、うれしそうに恵子ちゃんを中へと誘った。

    居間に行くと、お父さんがテレビ画面に張り付いていた。
    どうやらこの夫婦はテレビゲームに熱中していたらしい。
    …このふたりも来年、還暦を迎えるのだが。

    お父さんも母同様、俺たちを見て驚いた。
    俺は同じ言い訳をした。

    「今夜は泊まってもらいますから」

    母が恵子ちゃんの実家に電話を入れてくれた。

    4人で茶を飲む。

    無言。

    だがお父さんも母もニコニコと俺を見ている。
    恵子ちゃんから湯気が出そうだった。

    (…バレバレじゃないか(笑))

    もとからそのつもりだ。
    用意していた台詞を口に出した。

    「俺たち、付き合うことにしました」

    お父さんと母の顔がパーッと輝いた。

    「おお!そうかぁ、そうかぁ」

    お父さんがはしゃいでいる。

    「よかったねぇ、よかったねぇ」

    母がティッシュを鷲掴みにして顔を拭っていた。

    恵子ちゃんは恥ずかしそうに湯呑みを弄んでいた。


    719:2006/04/29(土) 16:24:37 ID:
    翌朝早くに恵子ちゃんは家へと帰っていった。
    お父さんの車を借りて送るつもりだったのだが、

    「午後からお友達の結婚式でしょ?
     それまで休んでて。昨日は遅くまで起きてたし」

    という恵子ちゃんの言葉に甘えさせてもらうことにした。

    彼女が帰った後、恵子ちゃんの実家に電話を入れた。
    恵子ちゃんの母・浩美さんが出た。

    「すみません。昨晩は恵子ちゃんを連れまわしてしまって」
    「いいええ。健吾君なら安心。また誘ってあげてね」

    安心…か。

    (早いうちに恵子ちゃんの両親にも挨拶しなきゃな)

    少しも気は重くはならず、むしろその日を焦がれた。


    720:2006/04/29(土) 16:25:23 ID:
    昼前。
    式から参列することになっていたので、早めに式場へと向かった。
    郊外の大きなレストランが式場だった。
    レストランウェディングというやつだ。
    東京などでは珍しくないが、まだまだこの街では目新しい。

    控え室で待っていると、友枝が顔を見せた。
    俺の姿を認めるや、小走りに駆け寄ってくる。

    「おおおつかさぁぁぁん」

    予想を裏切らず、友枝はガチガチに緊張していた。
    真夏とはいえ、空調のきいた室内なのに、燕尾服の襟元が汗でびっしょりだ。

    「だいじょうぶかぁ?」
    「気持ち悪いです。吐くかも」
    「緊張してるだけだよ。しっかりせい(笑)」
    「ダメです。吐いてきます」

    そそくさと友枝が手洗いへと消えた。

    どうやら式に参列するのは新郎新婦の友人がメインのようで、
    会社関係は俺と上司だけだった。
    上司と話しているのも飽きた俺は、式場内を当て所もなくうろついた。


    721:2006/04/29(土) 16:26:27 ID:
    一際賑わっている部屋があった。
    覗いてみると、女友達に囲まれている芽衣子さんの姿があった。

    純白のウェディングドレスが、窓から差し込む陽光にやわらかく包まれていた。

    美しい。

    この姿を見て、ため息の出ないヤツなどいないだろう。

    見惚れていたら、芽衣子さんも俺の姿に気づいた。
    何か言いたげに、首を伸ばしている。
    近くに行きたかったが、
    デジカメや携帯を手に群がる女性たちに気圧され、
    (また後で)
    と手を振り、部屋を出た。

    廊下で友枝と再会した。
    文字通りスッキリとした顔だった。

    「大塚さん!芽衣子さん、もう見ました?」
    「うん」
    「綺麗でした?綺麗でした?俺、まだ見てないんです」

    軽~く、友枝の頭をひっぱたいた。

    「ああっ、セットが!セットが!なにするんスか!?」
    「さっさと行け(笑)」

    芽衣子さんの部屋の方向に、友枝をドンと押してやった。

    やっぱりというか、式の間中、ずっと友枝は泣いていた。
    芽衣子さんはこれ以上ないくらいやさしい顔で、友枝の顔にハンカチを宛がっていた。
    ふたりの姿に、参列者から微笑みがもれた。

    (でも…俺も泣いちゃうかもしれないな)

    ブーケを投げる芽衣子さんの姿に、未来をダブらせた。


    722:2006/04/29(土) 16:27:28 ID:
    2次会は街中のレストランバーで行われた。
    披露宴から合流した同僚たちと、友枝を囲み、冷やかす。
    いまだ興奮冷め遣らぬ体の友枝だったが、
    酒と時間がいつもの彼を呼び覚ましていった。

    「大塚さぁん、今日は何の日か知ってますう?」

    しな垂れかかっていた友枝が顔を近づけてきた。

    「お前が裏切り者になった日(笑)」
    「なんスか裏切り者って!大塚さんもさっさと独身にオサラバしなきゃダメっスよ」
    「わかってるよぉ。早くお前のお仲間になりた~い(笑)」
    「んふっふっふ」
    「なんだぁ?気色わりーな」
    「だいじょーぶ。大塚さんも結婚できます」
    「他人事だと思って(笑)」
    「今日はね、大安じゃないんスよ」
    「そーなの?…でも、だから?」
    「友引っス」

    友枝が俺の肩をバンバン叩いた。

    「友引に結婚式すると、来てくれた人も結婚できるんですって。
     感謝してくださいよう!
     大塚さんのために、わざわざ大安避けて今日にしたんスからぁ」
    「そっか。ありがとな」
    「てことで、今日はがんばってください!芽衣子さんの友達いっぱいきてるんスから」

    友枝。
    もう、がんばらなくてもいいんだぜ、俺。


    723:2006/04/29(土) 16:28:36 ID:
    やがて友枝が友人たちと余興を披露し始めた頃、
    友人や同僚から解放された芽衣子さんが俺のもとへとやってきた。

    「だいじょうぶ?疲れたんじゃない?」
    「うん、だいじょうぶ。健吾君、今日は本当にありがとう」
    「いやいや。…あ。こっちこそ、ありがと(笑)」
    「え?」
    「わざわざ“友引”を選んでくれたんだってね。聞いたよ(笑)」
    「ああ(笑)すっごく彼こだわってたの、友引に。
     『縁起でもかつがないと大塚さんは結婚できない!』って(笑)」
    「失礼な(笑)」
    「ねぇ(笑)」

    友枝を見、ついで芽衣子さんを見た。

    「…いいヤツだよな」
    「でしょ?」

    芽衣子さんのノロケがうれしかった。

    「健吾君、これ…」

    芽衣子さんが小さな紙包みを差し出した。
    中には黄色い花が一輪入っていた。

    「ブーケに使った花。メランポジウムっていうの」

    芽衣子さんが花をやさしくつまみ、胸のポケットチーフにそっと挿してくれた。

    「健吾君にあげたかったんだ」

    “友引”と“メランポジウム”

    ふたつの想いに応えたいと思った。

    「芽衣子さん。
     俺もねぇ…芽衣子さんに招待状を送れると思う。
     まだまだ先の話になると思うけど…」

    口をついて出た自分の言葉に照れ、俯いてしまった。
    芽衣子さんの声が1オクターブ高くなった。

    「ホントに!?…じゃあ…なのね?」
    「うん」
    「…よかったぁ…」

    ウンウンと、芽衣子さんは何度も頷いていた。
    お互いに、おめでとうと言い合った。


    724:2006/04/29(土) 16:29:33 ID:
    3次会は辞退した。
    腕に絡まる友枝を芽衣子さんに押し付け、熱帯夜の街に出る。
    時刻は8時を回っていた。

    今一番聞きたい声を求めて、携帯を手にとった。

    「お疲れ様」

    ああ、恵子ちゃんの声だ。
    もう俺はメロメロだった。
    更なる欲求に引火する。

    「会いたい…なぁ」
    「会えるよ」

    事も無げに恵子ちゃんが言った。

    「今ね、健吾君の近くにいるの。友達と会ってたんだ。今、別れたから…」
    「すぐ来て!今来て!早く来て!」

    電話の向こうで恵子ちゃんが爆笑していた。

    「会いたい」と言えることに感動した。

    (“言える”関係になったんだ)

    改めて昨夜の喜びを反芻した。


    725:2006/04/29(土) 16:30:27 ID:
    指定した喫茶店には恵子ちゃんが先に到着していた。
    奥の席に座る恵子ちゃんに近づいていくと、自然に目が合った。
    お互いの顔がほころぶ。

    俺はどうしちまったのか。
    十代の時のような、ふわふわとした感覚。
    口にするのも恥ずかしい言葉が頭に浮かぶ。

    ときめき。

    落ち着いて、冷静に、衝動を抑えながら、恵子ちゃんの向かいに座った。

    「お疲れ様!」

    満面の笑みで俺を迎えてくれた恵子ちゃんの目線が、俺の顔から胸へと移動した。

    「そのお花、最初から差して行ったの?」
    「ん?ああ、違う違う(笑)もらったんだ、結婚式で」
    「ああ、そっか。なるほど(笑)」
    「ガラじゃないなって、思ったんだろ?(笑)」
    「うん(笑)」
    「(笑)メランポジウムって言ってたかな。ブーケに使った花だって」
    「へぇ」
    「…恵子ちゃん、これね」
    「ん?」
    「花嫁さんにもらったんだ」

    なぜか、きちんと話しておかなくてはと思った。

    「その花嫁さん、昔、俺が付き合ってた人なんだ」
    「転勤の時に見送りに来てた人?」
    「…憶えてた?」
    「うん」

    一瞬、場が凍りついたような気がして、慌てておどけた。

    「や、妬ける?」

    俺の馬鹿な質問に、恵子ちゃんは平然としていた。

    「ううん。全然」

    そして恵子ちゃんがニコリとして言った。

    「だって、これからは私が健吾君のとなりにいるんだもん」

    テーブルを飛び越え、恵子ちゃんに抱きつきたかった。
    だが代わりに憎まれ口を言って我慢した。

    「なぁんだ。つまんねーの(笑)」
    「御生憎様(笑)」


    726:2006/04/29(土) 16:31:56 ID:
    その後一時間ほど、恵子ちゃんとのおしゃべりを楽しんだ。
    チラチラと時計を見出した俺に恵子ちゃんが言った。

    「まだ時間だいじょぶだよ。今日、車で来たし」
    「いや、二日連続で俺のせいで帰り遅くするのは…。守さんたちも心配するだろうし」

    伝票を持ってレジへと向かう。
    のそのそと恵子ちゃんが後に続く。
    視線を感じる。
    じーっと俺を見てる。
    なんとかかわして外に出た。

    「さて…帰ろっか」
    「やだ」

    間髪いれずに恵子ちゃんが遮った。
    ダダをこねるなんて珍しい。いや、初めてのことだ。

    「やだって…そんな(笑)」
    「だって…」

    「だって今日、初めてのデートなんだよ?
     恋人同士になって初めての!」

    そっか。そうだった。言われてみればそうだった。

    恵子ちゃんが俺を見上げていた。
    その瞳の中、ネオンがくるくる廻る。

    2、3メートル先、隣の雑居ビルの非常階段まで恵子ちゃんの手を引いた。
    向き直り、ぎゅーっと抱きしめた。

    こんちくしょーめ、可愛いなぁ!


    727:2006/04/29(土) 16:32:37 ID:
    俺の中で、ある考えが首をもたげた。

    「恵子ちゃん」
    「…ん」
    「やっぱり今日は帰ろう」
    「………」
    「その代わり」
    「?」
    「俺も恵子ちゃんの家に連れてって」

    腕の中で俯いていた恵子ちゃんが、がばっと顔を上げた。

    「んえっ!?」

    その滑稽な声と表情に、腹を抱えて笑ってしまった。

    「なに笑ってんのっ!?…ていうか、なに言ってんの!?」

    目頭と痛む腹を押さえ、動揺する恵子ちゃんをもう一度抱きしめた。

    「ちゃんとね…守さんたちに挨拶しときたいんだ。
    お付き合いさせてもらってます、って」
    「えっ!?いいよぉ、そんなの(笑)」
    「まだ早い?」
    「ううん、早いとかじゃなくて…。
    ウチの親、そんなに形式張ってないから、だいじょうぶだよ?」
    「俺がね、ちゃんとしときたいんだ」

    我ながら相変わらずアタマのカタイ奴だと思ったけれど、
    ほんの一拍の後、恵子ちゃんが頷いてくれた。


    728:2006/04/29(土) 16:33:30 ID:
    恵子ちゃんの家までは高速で40分程度の道のり。

    ふと車窓を流れる街灯を見送りながら、
    俺は自分に起こっている変化に気づいた。

    なんだか恵子ちゃんとの会話に熱が入らない。
    会話がブツリブツリと途切れる。
    そのうち、押し黙ってしまった。

    この緊張はなんだ?

    まるで、結婚の挨拶に行く時のような…。

    馬鹿な。
    そんな大仰なものじゃないだろうに。

    何度も自分に言い聞かせたが、
    一度意識した心が、頭の命令に従うはずもなかった。


    729:2006/04/29(土) 16:34:29 ID:
    「はい。着きました、と」

    エンジンを止めた恵子ちゃんが、俺をまじまじと見つめている。
    右顔面にその視線を感じてはいたが、俺は彼女に向き直ることも出来ず、
    フロントウインドウに熱い視線を投げ続けた。

    「だいじょうぶ?」

    看破されていることにたじろぎ、うろたえ、虚勢をはった。

    「な、なにが!?…さ、さあ、行こう!」

    恵子ちゃんに一瞥もくれず、玄関へとまっすぐ進んだ。

    しかし…扉を開けられない。チャイムに手が伸びない。

    恵子ちゃんが一歩後ろで俺の様子を見ていた。
    振り向き、懇願した。

    「…ごめん、開けてぇ」

    恵子ちゃんが、手で口を押さえながら笑いをかみ殺している。
    彼女の気が済むまで俺は待った。

    ようやく笑いを終わらせてくれた恵子ちゃんが、
    ゴホンとひとつ咳払いをして扉を開けた。
    緊張復活。

    「ただいま~」

    出迎えたのは浩美さんだった。

    「あら、健吾君!?恵子を送ってくれたの?」
    「い、いえっ、運転してたのは恵子ちゃんで、あの、その」
    「とにかくあがって」

    もう堪えられないとばかりに恵子ちゃんが吹いた。
    ちょっと恵子ちゃんが小憎らしくなった。

    居間に通され、茶を出された。
    石像のように固まっている俺を見て、相変わらず恵子ちゃんは肩を震わせている。
    浩美さんが台所に行った隙に、軽く恵子ちゃんの首を絞めてやった。
    またも恵子ちゃんが吹き出した。


    730:2006/04/29(土) 16:35:36 ID:
    そこへ、風呂上りの守さんが姿を現した。

    「おお、健吾君!よく来たよく来た!」
    「す、すみません、またこんな遅くまで恵子ちゃんを引っ張りまわしてしまい…」
    「うんうん。これからも誘ってやってね」
    「は、はい。もちろんです…」

    沈黙には到底耐えられそうにない。
    俺は矢継ぎ早に言葉を続けた。

    「それで…あ、あの俺、
     恵子ちゃんとお付き合いさせていただきたくて…今日…来ました」

    伏せていた目を恐る恐る上げ、守さんと浩美さんを見た。
    ふたりともキョトンとしていた。

    「え…いや、ずっと前から付き合ってたんじゃないの?」

    守さんの言葉に驚いた。口から何かが出ちゃうんじゃないかと思った。

    「いやぁ、てっきりそうなんじゃないかと思ってたんだけど。
     でもふたりの口からちゃんと聞くまでは、余計な口は挟まないようにしようって、
     私ら話してたんだよ」
    「え…いえ、正式には昨日からで…」
    「ああ、そう!そうかぁ、そうなのかぁ」

    守さんと浩美さんが微笑みを交わしていた。

    「これからもよろしくね、健吾君」

    すぐには頭の整理がつかず、恵子ちゃんを見た。
    あんぐりと恵子ちゃんは口を開け、呆けていた。
    俺の視線に気づき、恵子ちゃんも俺を見る。
    ふたりの口に笑みが浮かび、やがて大笑いした。

    (やった!やった!やった!)

    ひとりだったら、踊り狂っていたと思う。


    731:2006/04/29(土) 16:36:37 ID:
    守さんも浩美さんもしきりに泊まることを勧めてくれたが、丁重にお断りした。
    かろうじて電車もあったし、なにより『厚かましいヤツ』と思われたくなかった。
    守さんたちがそんな人たちではないことはよくわかっていたが、
    少しでも良い印象を与えたかったのだ。
    相変わらず些細なことを気にするヤツだった。

    再び恵子ちゃんの車に乗り、駅に向かう。
    車が走り出すと同時に、ふたりとも口を揃えて言った。

    「…びっくりしたねぇ」

    また笑い合った。



    落ち着き、余裕を取り戻した頭が考えた。

    (あのまま…“結婚を前提に”って言っても、よかったんじゃないだろうか?)

    …いやいや、いくらなんでもそれはまだ早いな。
    恵子ちゃんの気持ちもあるし。

    心の中でかぶりを振っていたら、恵子ちゃんがまた俺の心を見透かした。

    「なんだか…結婚の挨拶みたいだったねぇ(笑)」

    驚き、恵子ちゃんを見る。

    俺の視線に照れたのか、
    自分の言ったことに照れたのか、
    恵子ちゃんはあわてて顔を右ななめ前方へと向けた。

    そのさまに俺までも照れてしまい、俺も左ななめ前に顔を向けた。


    732:2006/04/29(土) 16:37:43 ID:
    倦怠期のカップルのように、互いに別の方向を眺めるふたり。

    しばし間をおき、振り絞る。

    「でも……いつか、…いや………いずれは…」

    そうなったらいいなぁ…と、言葉を続けようとしたが、

    「ま、まぁ、先のことはわからないし…
     …恵子ちゃんも…恵子ちゃんが…よければ…」

    歯切れの悪い言葉が続く。
    だが恵子ちゃんの一言が、終止符を打った。

    「早く結婚してくれ(笑)」

    首がねじ切れるほどの勢いで恵子ちゃんを見た。
    彼女は相変わらず明後日の方向を向いている。

    「ほ、ほら、私も若くないし…もうすぐ35歳だし…
     あ、ほら35って、四捨五入すると40なんだよぉ…だから…だから…」

    慌てて取り繕った言葉に、恵子ちゃんの照れが見えた。

    こみあげる、今日、何度目かわからない高揚感。

    「恵子ちゃん、車止めて」

    なぜ?とも聞かず、言われるまま恵子ちゃんは車を路肩へと止めた。


    【彼女との話】「早く結婚してくれ」 従姉に恋をした。信じられないほど心が痛い。彼女に会ってから今日まで、一年一年、一日一日、その痛みは蓄積されていき、今は極限だと思う

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    引用元:http://love3.2ch.net/test/read.cgi/lovesaloon/1131655290/